今やトヨタを抜いて生産台数において世界一の座に君臨する独フォルクスワーゲン社。
一方、その煌びやかなイメージと真逆の存在である、元ナチス党総統で欧州全土を占領する事を夢見たアドルフ・ヒトラー。
この対照的とも言える両者ですが、歴史的に見ると深い繋がりが存在します。
アウシュビッツでのユダヤ人迫害など、当時ナチスによって行われた蛮行は現在でもドイツに深い傷を残しています。
しかし、一方において現在の『自動車大国としてのドイツ』の礎を築いたのもヒトラーなのです。
そもそも、フォルクスワーゲン社は第2次大戦前に ナチス党の『国策会社』として誕生しました。
当時、ヒトラーは自国産業の育成の為『国民車構想』を計画し、その設計を、当時天才エンジニアと評価されていたフェルディナント・ポルシェ氏に依頼しました。
(ポルシェ社の創業者である彼は、一方に於いてナチス党員としても顔を持ち、戦後は1年半もの間、戦争犯罪人としてアメリカで収監された過去を持ちます。
元来、政治には無関心な人物でしたが、物資不足で念願であった小型車開発をベンツ社から否定された彼と、国民車構想を持つヒトラーの利害が一致したのでした。)
そこで開発されたのが初代『ビートル』なのです。
結局のところ、このクルマは世界最多台数である2153万台を売り切り、フォルクスワーゲン社を世界のトップメーカーに押し上げたのでした。
戦後、ドイツの敗戦に伴いナチスの軍事車両などを一手に製造していたフォルクスワーゲン社は解体、もしくは収奪の対象となってもおかしくない状況でしたが、保守的なデトロイトの技術者やイギリスの自動車メーカーは、その先進性や合理性を見抜く事が出来ませんでした。
結果、1948年に開催された連合国関係者による検討会議で、『フォルクス・ワーゲンは無価値である。』というヘンリー・フォード2世の言葉により収奪を免れたのでした。
このような経緯で誕生したフォルクスワーゲン社は現在でもポルシェ家(正確にはポルシェ家と親戚筋であるピエヒ家)の持ち株会社である『ポルシェ・SE社』が株式の過半数を持つ大株主として君臨しているのです。
尚、ナチスの自動車業界にもたらした功績としてもう1つ挙げるとすれば、『アウト・バーン』の建設です。
世界中を見渡しても、一部ではあるが速度無制限での高速道路は類を見ません。
この限界環境で培われた性能が、世界に飛躍する切っ掛けであると言えます。
日本車がドイツ車に適わないのは、『必要とされる能力の違い』に他なりません。
時速100㎞を想定する日本と、200㎞での走行まで想定しないといけないドイツ車では、走行性能・安全性能においては1ランク上の設計が求められるのです。
このように、現在のドイツ経済の礎を築いたとも言えるポルシェ氏とナチス党ですが、その暗い歴史により功績は見えずらくなったと言えます。
ポルシェ氏の故郷であるチェコのプラティスラビツェでは彼の記念施設が建設されるも、元ナチス親衛隊(SS)のメンバーであった彼の経歴が問題となり、施設の名称が『記念』から『展示センター』への変更を余儀なくされました。
歴史的事実は変えられませんが、ポルシェ博士が自動車業界に与えた影響は無視できない程大きなものであると言えます。
そして、現在のドイツ経済の一翼をフォルクスワーゲン社が担っているのも事実です。
非常に悩ましい位置付けではありますが、クルマ好きとしては一定の評価をしたい、そんな気持ちなのも確かではないでしょうか。
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