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豊田章男という人物。

 

 

豊田章男。言わずと知れた世界の『トヨタ自動車』の社長です。

 

実は、彼は私の尊敬する人であり、インタビューなどは全て目を通す事にしています。

(ちなみに勘違いしている方が多いですが、彼の名は『とよだ(TOYODA)です。)

 

彼をご存じない方は、創業家の3代目の『お坊ちゃん』という認識を持たれている方も多いと思いますが、実際のところはかなり掛け離れた存在と言えます。

 

社長になる前の彼は組織内でも、ある意味冷遇され続け、最終的には『火中の栗を拾わされる』形で社長に就任する事になりるのです。

(彼自身は自分の事を『超お坊ちゃん』と卑下していますが。。。)

 

リーマンショックで初の赤字転落をした翌年、彼は社長に就任しますが、その後もアメリカでの大量リコール・公聴会、東日本大震災、タイ洪水被害による生産停止、それに急激な円高、女性役員の薬物逮捕問題と、トヨタ歴代社長の中でも、これだけの危機に直面した経営者は他に類をみません。

 

 

 

 

 

 

大学を卒業後、海外の投資会社に勤務していた章男氏は1984年にトヨタに入社します。

 

幼少の頃から『豊田』という名に対し、コンポレックスや重圧を感じる余り名前を隠そうとしていたと言います。

云わば、そこから逃げていた彼でしたが海外に行こうとも、その呪縛は彼を放しませんでした。

 

『どうせ苦労するならトヨタの為に苦労をしたら。』と当時の上司に言われた一言がトヨタに入社した経緯だと、後に彼は語っています。

 

入社の際は父であり、当時社長であった章一郎氏に『創業家出身の人間を部下にしたいと思う人間はトヨタにはいない。』と戒められ、特別扱いはしない事を宣言されます。

その為、彼はトヨタに履歴書を送って入社を認められました。

 

入社後は生産管理や国内営業を担当。係長から平社員への降格人事などにも耐え、徐々に実績を積み上げていきます。

2000年に取締役に就任しますが、当時社内的には重要度の低かった中国を任されます。

 

 

2002年、彼に新しい出会いが生まれます。

その相手は、当時トヨタのテストドライバー数百人のトップに立ち、天才的感覚を持つと言われた成瀬弘氏でした。

きっかけは当時取締役であった章男氏が言われた一言でした。

 

『運転の事を分からない人間に軽率なクルマの評価をされたくない。トヨタには俺みたいに命を掛けてクルマを開発している人間がいる事を忘れないで欲しい。』

 

非常に辛辣な言葉ですが、彼はこの言葉を聞いて、

 

『自動車会社の一員として、評価の仕方を教えて欲しい。』と頭を下げたのでした。

 

急ブレーキなどの訓練だけで2年を費やす章男氏の情熱に打たれた成瀬氏との間には奇妙な師弟関係が生まれ、これは成瀬氏が事故死する2010年まで続く事になります。

 

この経験は、章男氏のクルマ作りに関する考えのベースになっていくのです。

(しかし、自分の上司、それも取締役にこういう事を言うのも凄いですが、それを聞いて素直に頭を下げた章男氏も凄いですね。)

 

 

 

 

 

章男氏が社長に就任した当初、社内は権力闘争の真っただ中にありました。

 

急激な拡大戦略とコストカットにより、トヨタ車の品質は下がり、世界中に余剰な生産力を抱えた事による初の赤字計上。

また、この事はトヨタ史最大の危機であるアメリカでの大量リコール、社長の公聴会への召喚という大事件を引き起こしたのです。まさに、全米での『トヨタ叩き』が行われたのでした。

 

この時、当時米国トヨタの重役であったジム・プレス氏は会見で、

 

『創業家に対して反発する金儲け主義の人々によって、会社が数年前に乗っ取られた事に問題の根本的原因はある。』とし、『今までの幹部は顧客第一主義を維持する姿勢を持ち合わせていなかった。しかし、章男氏は違う。』と明言しました。

 

 彼にそう言わしめたのは、信頼を回復すべく全米のディーラーを飛び込みで訪問し、自らの信念を説いて廻った、その『覚悟』だったのです。

 

 

 

 

彼を見ていると一貫して見て取れる行動があります。

 

それは『逃げない事』。

 

実はある対談で、メジャーリーグのイチローさんが、就任以来数々の危機を乗り越えてきた実績について、『なぜ、危機に立ち向かえるのですか?』という質問をしました。それについて、彼はこう答えています。

 

 

『危機というものは近づけば、近づく程安全なんです。実は、中途半端な距離に居るのが一番危険です。』

 

 

且つて、日本代表のホッケー選手だった彼はホッケーに例えてこう述べたのです。

ホッケーでは相手の選手がシュートしようとする際、中途半端な距離に居ると150㎞の速さでピックが飛んでくる。しかし、近づいてしまうとピックは地面にあるので、当たっても足などで危険は少ないんだ、と。

 

 

この言葉は非常に私の胸に刺さりました。

確かに、自分の人生を振り返ってみてもそうなんです。

危機があり、そこから逃げたとしても『批判の矢』はどこまでも追いかけてきます。結局は避けられないんですね。  

 

今まで、『男らしく』とか、『勇気』など逃げない理由は今まで沢山聞いてきました。それに憧れる一方で、精神論的な思想に嫌悪感みたいな物を感じていたのも事実なんです。

 

彼の言葉は何か素直に『なるほど…』と腹に落ちた感じがしました。

 

 

 

 

 

 

米国での『トヨタ叩き』が行われる中、彼がカメラの前で涙を見せた事がありました。

それは、全米のトヨタディーラー代表が発言した一言、

 

『我々は100%あなたを支持します。』

 

という言葉を聞いた時でした。彼にとって就任早々にアメリカの公聴会に召喚されるという辛い時期に言われたこの言葉に感極まってしまったのでした。

 

当時は大企業のCEOがカメラの前で泣くなんて弱さの表れだ、と批判する声も多かったし、私自身そう感じたのも事実です。しかし、彼の事を知ってみると、非常に『情の厚い男』である事が分かります。

 

前述の成瀬弘氏もそうですが、工場時代の※総務課の先輩など、彼は地位や生まれに関わらず、自分が尊敬出来る人や、為になる人間には進んで頭を下げて教えを乞うという謙虚さを持っています。そして、それは彼自身の地位がどれだけ上がろうとも変わらないのです。

 

映画『釣りバカ日誌』の主役の2人のような関係を現実社会で体現してる人なんですね。

 

(※ 最初の勤務先だった元町工場で前の席に座っていた先輩の秦江孝男さん。当時、野球部で4番を打っていた秦江さんにアスリートとしての自信と思想に感銘を受けたそうです。関係は深まりますが、自分と付き合う事で社内での妬みが生まれている事を危惧した章男氏は、その事を率直に秦江さんに伝えるが、彼は変わらず関係を続けました。

章男氏が社長就任の内示を受けた際も、真っ先に報告する程、その関係は続いているとの事です。)

 

 

 

 

『背負ってというより、支えられてる。』

 

彼が、大企業を率いる感想を聞かれた際に答えた言葉です。

 

彼は自分を『超坊ちゃん』と呼び、良く自分を笑いのネタにします。

『自分を笑えるものは、人に笑われない。』といいますが、最近の章男氏には肩の力の抜けた余裕と風格(気迫?)みたいな物を感じます。それは、自らの出生や運命を受け入れ、腹を括った男の『凄み』なのかもしれません。

 

(確かにお母さんは三井財閥の家系だそうで、親族は1部上場企業の社長・幹部だらけ。石を投げれば社長に当たるという家系です。親族全体の資産を纏めれば天文学的数字になると思います。)

 

それは明らかに『ボンボン社長』のそれでは無く、ベンチャー企業の創業者に近いバイタリティを感じるのです。

 

 

 

今、時代の転換点を迎え『産業革命』とも比喩されています。

 

そんな中、章男氏は組織内に危機感を植え付け、転換を迫っています。

これだけの大企業において、彼の言葉で全ての人のマインドを変える事は不可能です。

しかし、私は彼が社長であって本当に良かったと感じています。この先、トヨタが生き残れる保証はどこにもありません。ただ、章男氏によってその布石は打たれました。

 

これは自動車業界に限った問題ではありません。

今、AI技術の発展により全ての業態が変化を求められています。その為に章男氏を一つのベンチマークとして捉えるべきだと思います。

 

ただ、言葉はそれ自身に意味を持ちません。

動画の中でイチローさんが仰ってますが、

 

 

『言葉とは何を言うか、ではなく、誰が言うか、という事が重要なんです。』

 

 

我々は、この言葉の意味をもう一度噛み締める必要があります。

自分に何もなければ、言葉はただの雑音に過ぎないのですから。