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自動運転事故。理不尽な程責められるウーバー運転手はそんなに悪いのか?

 

 

3月18日に発生した米ウーバー社による自動運転車の交通事故が大きな問題となっています。

世界初という自動運転テスト車での死亡事故という事で、大きく取り上げられるのはしょうがないですが、個人的には少々過熱し過ぎな感じがしています。

 

 

 

 

地元アリゾナ警察が事故直前の映像を公開したのが騒ぎの発端なのですが、そこからテストドライバーに前科がある事や、事故の数秒前に『よそ見』をしていた事などが、マスコミで大きく取り上げられ、事故の原因があたかもドライバーにあるというようなヒステリックな報道まで見受けられました。

 

 

結果的に、ウーバー社は自動走行の運航許可を取り消される事になり、他社においても実験の中止を発表する事業者が頻発する事態となっているのです。

 

 

何か物事がおかしな方向に向かっているような気がしてならないので、今日はこの件についてお話してみたいと思います。

 

多くの方は、この『テストドライバー』という職業、『1日ただクルマに座ってるだけでお金が貰えて良い仕事だなぁ』と思ってらえる方も多いと思います。

 

しかし、実態は全く違います。いつ起こるか分からない誤作動に対処すべく、常に緊張を強いられます。

 

さらに実験当初ならまだしも最近は技術力の向上により誤作動自体が起こらなくなっている。その中で集中力を維持し続ける事は非常に困難になってきているのです。

 

 

問題はそればかりではありません。実際に公道を走っていると自動運転車と認識した人が、わざと公道に飛び出したり、無理な幅寄せを行うなど、通常の走行データでは予期し難い様々な『嫌がらせ』も頻発し、それはテストドライバーにとって大きなストレスとなっています。

 

 

 

今回の事故は明らかに自動運転の技術的欠陥を示しています。その原因究明は徹底的に行う必要がありますし、その間のテスト自粛は必要だと思います。しかし、原因究明が終わり次第、すぐにテストは再開すべきです。

 

 

このような事故が起こると必ずヒステリックなリアクションを行うマスコミが出てきます。彼らの主張する内容は正論で確かに耳には心地良く、支持される方も多いと思います。

 

 

しかし、残念ながら現実社会では、技術革新の中で『リスク』というものが不可欠な物として存在します。これは、医療や科学技術など全ての分野について言えますが、私達が現在享受している文明社会は先人の失敗の上に成り立っていると言っても過言ではありません。

 

 

この事を理解しない『0リスク信奉者』はこの『失敗』を許容出来ません。

確かに人の命は尊いもので、それを否定する気はありません。ただ、失敗無くして前に進む事は不可能なのです。

 

最後に、このテストドライバーについて弁護すると、公表された映像を見ていると、暗闇から突如女性が現れます。

彼を批判する人の中で、どれだけの人があの事故を回避出来たでしょうか?

 

彼は前科者だから?

まるで、彼が故意に女性をひき殺したような言い方です。

当たり前ですが、事故と彼の前科は全く何の関係もありません。彼の過去を暴くことには悪意しか存在しないという事なのです。

 

 

正直、この事故映像を公表した警察当局には悪意を感じます。センセーショナルな画像を見せる事で、嫌悪感を抱く事は人間として当然の反応だからです。果たして、そこに意味はあるのでしょうか?

 

 

自動運転の技術は確実に将来多くの命を救います。

今その歩みを止める事は、将来失われるであろう命に対し、私達が責任を放棄する事なのです。

 

今回の事故は不幸な出来事でしたが、それにめげずに進んでいって欲しいです。そして、マスコミには長期的視点に立った報道を望みます。

それが、未来に対する私達の責任ではないでしょうか。